(付き合いはなかったんですけど・・・一度だけ母が電話したのを見たくらい)
大叔父は、どんなときにもクヴァンツの奏法試論を大切に保管し手離さなかったとか。
母は、幼い頃に父親を亡くし、子供の頃、親戚宅を転々としていて、
かなりつらい思いもしてきたけれど、そのフルート奏者のいるお家では、
かわいがってもらったようで、その頃の話をするときは、とても楽しそうでした。
そういう子供時代について、「日が暮れてくると 離れて暮らすお母さんが
恋しかった、さびしかった」といつもは気丈な母がふと漏らす言葉に、
とまどったものです。
恋しかった、さびしかった」といつもは気丈な母がふと漏らす言葉に、
とまどったものです。
私がヴィヴァルディの音楽に触れ、特別な思いを持つのは,
そういう母からの血(DNA?)のせいかもしれません。
そういう母からの血(DNA?)のせいかもしれません。
ヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院でヴァイオリンを教えていたヴィヴァルディ。
女子孤児たちによる立派なオーケストラのために作曲し続けたヴィヴァルディ。
彼のことを知るにつれ、そしてピエタの演奏家たちへ思いを馳せるにつれ、
ああ、母は、やはりとてもさびしかったのだろう・・・と、あらためてその心の傷を認識し、
でも、音楽家だった従兄弟の元にいてどんなに心が慰められたろうか、と。
私がヴィヴァルディとの出会いをこんなに大きく感じるのも納得できるように思えるのです。
母は音楽はやらなかったけど、ピエタの少女たちと重ねてしまう・・・。
母は音楽はやらなかったけど、ピエタの少女たちと重ねてしまう・・・。
・・・私の中にいる母。いや、母なのか私なのか判らない、心の中では明確に
分けて考えられない気がします。
分けて考えられない気がします。
作品3から、特別優しく、希望の光へと導くような、第9番のラルゲットを
母へ、そしてすべてのさびしい心を持つ女性たちへ、
ぺガススに乗って届けという思いを込めて・・・。
ぺガススに乗って届けという思いを込めて・・・。
(昨日は母の誕生日でした)
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