2011年9月13日火曜日

白猫チロと自転車と

先月末書きました、行方不明だった自転車、引き取りに行ってきました。

手元に戻り、乗ってみると、今のとはまた違った乗り心地。

ひじょうにこぎやすく、よく進む。

前回、乗っていた人に引き続き乗っていてほしかった、などと書いたのですが、

キレイゴトでした・・・。

放置自転車を、自分のものにして乗るっていうのも、どうなのか?

私には理解できない・・・という気持ちも出てきました。

縁あって戻ってきたので、お手入れしていただいたことに感謝しつつ、

また乗りたいと思います。置き場所もなんとかなりそう。

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また、ネコのチロを病院から連れて帰ってくるのにこの自転車を使ったという思い出もありました。

チロはそのとき、絶命してしまったのですが。。

何だか具合が変。食べないし水も長い間飲んでない、と動物病院で受診し、そのまま入院となりました。

チロのいない部屋で、私は、もうチロは助からないのだ・・・とわかってひたすら泣きました。

2日後、小さな前足に刺していた点滴の針を抜いてもらい、家に連れ帰ったのです。

正直言って、チロの死に、一人で向き合う勇気がなかった。。

それで入院させていたところもありました。

入院2日目、面会に行くとチロは、ずっと寝たきり(普段からそうでした)だったのに、

私を見るや起き上がり、出ない声で訴えるように鳴いていました。まるで、

「何をしていたの?わたしをひとり置いておいて。わたしもうすぐ死んでしまうのよ!」

と怒っているようでした。…ゴメンね、と私。

虫の息でへたりこんでいるだろうと思い込んでいた私は、

チロの、残っている力をふりしぼっての迫力に、おどろき圧倒されました。

たった1,5キログラムにも満たない小さなからだが、大きく感じられた一瞬でした。

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愛するものや身内が、この世を去ろうとする時に接するのは、とてもつらいもの。

でも、それと同時に、逝くものへの思いやりが溢れてくる特別な時間でもあると思います。

そのとき溢れ出た思いやりや、やさしさという温かいものは、次に、

愛するものたちを失ったとき、今度は自分自身を癒す助けとなります。

というようなことを聖路加病院理事長の日野原重明さんが、新聞のコラムに書かれていて、

家族の死も経験している私は、「我が意を得たり」の心境でした。

(・・・一時、二軒の病院を行き来していました)

チロ、空へ跳ぶ

チロは私のそばにずっと、今もいます。と感受性の高い方に言われたことがあります。

ですが、チロを失ったときは、体に変調をきたすほどのショックでした。

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同じ年、チロの死から9ヵ月後、初めての小さな絵画作品展を、

カフェ(もう無くなってしまいましたが)で催すことができました。

それは、思いもよらないことでした。

とんとんと話が進み、背を押し、手伝ってくださる方もいらっしゃって、実現できました。

もう7~8年も前のこと。。

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・・・と、まあ、その頃愛用していた自転車が戻り、

なんだか応援されているような気分?でしょうか。(^^)