最近、ランタナが満開なのをよく見かけます。
←↓お見事な庭先
うちのベランダの小さな鉢にも、
いくつか花が咲いていました。
うちのベランダの小さな鉢にも、
いくつか花が咲いていました。
はじめてこの花を知ったのは、
だいぶ前のことですが、
つぼみ自体が星のような形で、
それがいくつもより合わさって、
一つの花として開花すると、
打ちあがった花火が
パアッと広がったように思えて
感心したものです。
だいぶ前のことですが、
つぼみ自体が星のような形で、
それがいくつもより合わさって、
一つの花として開花すると、
打ちあがった花火が
パアッと広がったように思えて
感心したものです。
ランタナの蘺
ランタナの蘺に 沿うてゆけば
ランタナは 目の高さ、
キラキラと 朝露も 目の高さ。
ランタナの中の 庭は静か、
いつも ゆうかり
裏返しの葉 つけて、
やせっぽちで 立っている。
ランタナの蘺に 沿うて帰れば
どの葉も どの葉も 西陽、
葉の中のすじも 西陽。
これは、詩人まど・みちおさんの「ランタナの蘺」(ランタナのかき)という詩です。
《ランタナ》といえば、この詩を思い出します。
まどさんの詩に、私はときどき永遠なる時間を感じます。
言葉を言いかえるとすれば、自分の中に生きている永遠なる子供、というのか、
永遠なる感受性、というようなもの。
それは、どう表現すればよいのかわからない感覚なのですが、
いつでも帰ることのできるところであり、
いつでも成長できたり変化できたりする希望というのか、
(んん~、どう言えばよいのか困ってます。自分でもよく掴めていないわけですね。笑)
とっても若いとき、子供のとき、うんと熟睡した朝、ふと
「昨日までの自分とはなんか違う」なんて思ったりするような、、、
デジャ・ヴュ体験をしたときのような感覚に似ているでしょうか。
(でも最近は、デジャ・ヴュ体験ほとんどしていないような)