2012年3月29日木曜日

3月っていいな

このところ、なぜか友人の夢を鮮明にみます。
ネット上の友人と初対面し、ハグし合ってたり、
ご無沙汰している友人や、高校時代の友人が登場、
立派になってるんで、こちらは卑屈になっているようだった(笑)。

3月は、春分の日を迎え日差しが徐々に強まってくるせいか、
よみがえり感、とでもいうような感覚を味わうことがあります。

心身に、再び《自分》が戻ってくるような。昨秋にも
こう書いていました。私は年に何回か死ぬんでしょうか(笑)
それに、復活祭なんですね…。
きっと何度も生まれて死んできた、時の流れを感じるような。
偶然、いま生きていることが、感慨深いといいますか。


また、無性に懐かしくてせつないような感覚に、
以前、襲われそうになるときがありました。
 それは、村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはよく踊る』のなかの、
『アイロンのある風景』に登場する《順子》が感じているものと
似ているかもしれません。その部分を下に書いてみます。

《そのとき順子は、焚き火の炎を見ていて、そこに何かをふと感じることになった。
何か深いものだった。気持ちのかたまりとでもいえばいいのだろうか、
観念と呼ぶにはあまりに生々しく、現実的な重みを持ったものだった。
それは彼女の体のなかをゆっくりと駆け抜け、懐かしいような、
胸をしめつけるような、不思議な感触だけを残してどこかへ消えていった。》

(下線の部分は、本文では点が振られています。)

はじめ私は、この短編集のなかでは、『かえるくん、東京を救う』が好きでした。
苦労ばかりしている冴えない中年男性のもとに、蛙が現れ、
男性にある頼みごとをします。
そして蛙は男性の強力な味方。おとぎ話みたいで、
単純に救われる、希望がもてるなぁと思って。
阪神大震災をテーマにした連作小説でしたし。

でも、後になって『アイロンのある風景』が鮮やかに印象に残るように思いました。

小説の中で、《焚き火》の才能のある中年男性が登場し、
海辺で芸術的な焚き火をしばしばするのです。
順子とは、《焚き火フレンド》。

きっと、あのような焚き火体験は神秘的なのでしょうね。
私が普段接する《火》って、せいぜいガスコンロの火とか
スケールの小さな管理された火ですから、憧れです。

その後の順子も気になります。



話がだいぶそれてしまいましたが、話を元に戻すと、
偶然か必然かなんだかわからないけど、とにかく、
いま生きていること、そして出会えた人たちへ、
ありがたさや、尊さ、etc感じるような日々なのです。




0 件のコメント: