このところ、なぜか友人の夢を鮮明にみます。
ネット上の友人と初対面し、ハグし合ってたり、
ご無沙汰している友人や、高校時代の友人が登場、
立派になってるんで、こちらは卑屈になっているようだった(笑)。
3月は、春分の日を迎え日差しが徐々に強まってくるせいか、
よみがえり感、とでもいうような感覚を味わうことがあります。
心身に、再び《自分》が戻ってくるような。昨秋にも
こう書いていました。私は年に何回か死ぬんでしょうか(笑)
それに、復活祭なんですね…。
きっと何度も生まれて死んできた、時の流れを感じるような。
偶然、いま生きていることが、感慨深いといいますか。
また、無性に懐かしくてせつないような感覚に、
以前、襲われそうになるときがありました。
それは、村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはよく踊る』のなかの、
『アイロンのある風景』に登場する《順子》が感じているものと
似ているかもしれません。その部分を下に書いてみます。
《そのとき順子は、焚き火の炎を見ていて、そこに何かをふと感じることになった。
何か深いものだった。気持ちのかたまりとでもいえばいいのだろうか、
観念と呼ぶにはあまりに生々しく、現実的な重みを持ったものだった。
それは彼女の体のなかをゆっくりと駆け抜け、懐かしいような、
胸をしめつけるような、不思議な感触だけを残してどこかへ消えていった。》
(下線の部分は、本文では点が振られています。)
はじめ私は、この短編集のなかでは、『かえるくん、東京を救う』が好きでした。
苦労ばかりしている冴えない中年男性のもとに、蛙が現れ、
男性にある頼みごとをします。
そして蛙は男性の強力な味方。おとぎ話みたいで、
単純に救われる、希望がもてるなぁと思って。
阪神大震災をテーマにした連作小説でしたし。
でも、後になって『アイロンのある風景』が鮮やかに印象に残るように思いました。
小説の中で、《焚き火》の才能のある中年男性が登場し、
海辺で芸術的な焚き火をしばしばするのです。
順子とは、《焚き火フレンド》。
きっと、あのような焚き火体験は神秘的なのでしょうね。
私が普段接する《火》って、せいぜいガスコンロの火とか
スケールの小さな管理された火ですから、憧れです。
その後の順子も気になります。
☆
話がだいぶそれてしまいましたが、話を元に戻すと、
偶然か必然かなんだかわからないけど、とにかく、
いま生きていること、そして出会えた人たちへ、
ありがたさや、尊さ、etc感じるような日々なのです。

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