3月4日は、アントニオ・ヴィヴァルディ(1678‐1741)の誕生日です。
彼は、1678年3月4日ヴェネツィアに生まれました。
誕生して約2ヶ月後に洗礼を受けたというSt.Giovanni Battista in Bragora教会の写真。
すぐに洗礼を受けなかったのは、赤ん坊の状態が危機に瀕していたからだそうです。
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教会入り口の左の方にある、ヴィヴァルディ生誕を示すプレート。
実際に見てみたいものです。
実際に見てみたいものです。
今年は生誕334年。
生誕333年だった昨年、日本で、
ヴィヴァルディを扱った大島真須美著『ピエタ(Pietà)』と
ティツィアーノ・スカルパ著『スターバト・マーテル(Stabat Mater)』という
ふたつの小説が出版されました。
ヴィヴァルディを主題にした小説は、
他にも外国でこれらが出版されています。
(他にもあるようです)
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| El enigma Vivaldi |
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| Vivaldi's virgins |
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| The Red Priest's Annina |
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| The Four Seasons |
上から2番目は実在したヴァイオリニスト、アンナ・マリーアを、
そして、3番目は歌手アンナ・ジローを主役にして書かれたもののよう。
(小説『ピエタ』には両者実名で登場)
読んでみたいけど、外国語ですので・・・。
上の2冊を読んだ人がいて、“Vivaldi's virgins”の
種明かしをされちゃいました。
聞かなきゃよかった(笑)
「赤毛の司祭(Prete Rosso)」というあだ名を持つ聖職者でありながら、
ピエタ慈善院付属音楽院(Ospedale della Pietà)のヴァイオリンの教師、
女性孤児たちによるオーケストラのために作曲し、指導をしていた…
とは、創作家にとって想像力をかきたてられるのでしょう。
私も、彼の音楽を聴き、彼や彼を取り巻く人々について読んだりすると、
18世紀前半の彼の時代と場所へ、心が飛んでいってしまいそうになります。
その頃のピエタ慈善院
ヴィヴァルディの死後立て直されたピエタ教会。
19世紀に描かれたスキアヴォーニの岸辺(左方)にあるピエタ。
ピエタの女子オーケストラの1715年のデータをネットで見つけたのですが、
もちろん、少女ばかりではありません。
40代50代60代の団員、つまり、
ヴィヴァルディの母親と同じような年齢の、
ヴェテラン演奏家たちも在籍していたのです。
こちらは、イギリスのSPAV (Schola Pietatis Antonio Vivaldi)による,
"Vivaldi's Women"の興味深い活動のドキュメント映像。
ヴィヴァルディと彼女たちがどのように影響しあっていたのか、
彼女たちはどんな様子だったのか。
ヴィヴァルディが去った後、ピエタの音楽・演奏会は、
じょじょに衰退に向かったそうです。
オーストリア継承戦争の影響もあったのでしょう。
小説『ピエタ』には、当時の有様が画家カナレットによって
語られる場面も。カナレットGiovanni Antonio Canal(1697-1768)は
ヴィヴァルディと近い世代。彼の残した多くの絵は、ヴィヴァルディの
時代のヴェネツィアの姿を伝えているのでCDジャケットにも
しばしば用いられています。
カナレット画 スキアヴォーニ河岸を東に臨む
Canaletto-Riva degli Schiavoni: looking East
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| http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/canalett/index.html(File source) |
ヴィヴァルディの作る音楽がいかに活き活きとして生命力溢れるものか、
スカルパの『スターバト・マーテル』にうまく描かれているのではないでしょうか。
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| ティツィアーノ・スカルパ |
この本を読んだとイタリアの友人に伝えると、
この曲は、ヴィヴァルディが母親のことを思いながら作ったということを、
新しい伝記で読んだと教えてくれました。
『スターバト・マーテル』は、象徴的に、ヴィヴァルディの音楽が人に与えうる
よきことを描いているのでは。
虚しさと、救いようのない孤独感にさいなまれ苦悩する主人公が、
最後に、「わたし」という実感を掴み取り、羽ばたく。自信に満ち、
キラキラの笑みを浮かべている主人公の姿が目に浮かんでくるようでした。
ところで、小説は良いとして、ヴィヴァルディの伝記というものが(日本に)ないんですよね。
子供向けのだったり。絶版だったり。なんたること。
パンシェルル著「ヴィヴァルディ」絶版です。ほかのも・・・
ヴィヴァルディの本、なんとかならないのでしょうか。
最後に、これはビバルディという種類の薔薇だそうです☆
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| HAPPY BIRTHDAY MAESTRO! 実は今、ヴェネツィアに行ってきたばかりの友人の写真アルバムを ネットで拝見しながら書いています。ヴィヴァルディが大好きな友人・・・ 上に書いたピエタ教会やブラーゴラ教会の前にたたずむ友人。 ヴィヴァルディの誕生日に見ることができて・・・感激です・・・ありがとう! |















2 件のコメント:
初めまして。
10年以上ヴィヴァルディの専門サイトである『赤毛の司祭』を運営しているカーザヴェーチャと申します。
おっしゃる通り、最新の研究成果に基づく内容の確かな、しかも日本語で書かれたヴィヴァルディの本がありません。
おこがましいようですが、当サイトではヴィヴァルディの生涯についてまとめた「出生から永遠の旅立ちまで -ヴィヴァルディの足跡を追い求めて-」というコラムを、Referencesの一部として用意しておりますので、ぜひご一読ください。
なお、数日前に、日本語版ウィキペディアの「ヴィヴァルディ」の項の、どなたかがお書きになった記事の内容に大幅に手を入れて正確なものにしておきましたので、そちらもお読みいただくとよろしいかと存じます。
突然の書き込みで失礼いたしました。
こんにちは!
これはこれは、『赤毛の司祭』のカーザヴェーチャさん、ようこそお越しくださいました!カーザヴェーチャさんのお名前はもちろん存じ上げております。
こちらのブログでは、少なからずヴィヴァルディのことも書いていますし、そのとき、以前からの憧れの『赤毛の司祭』で得た多大な情報を元に、記事を構成しているところもあると思いますので、本来ならばこちらからご挨拶申し上げるべきところ、このようなただの日記ブログということもあって、ご挨拶しそびれてしまい大変失礼いたしました。
そちらのreferencesのヴィヴァルディの生涯は、言うまでもなく拝読しておりますし、日本語版ウィキペディアの「ヴィヴァルディ」今から楽しみに読ませていただきます。(本があれば一番良いですね・・・)
これからも、ヴィヴァルディのことを正しく知りたいという方がいらっしゃれば、ぜひにとお勧めさせていただきます。
それから、またいずれ、ヴィヴァルディ専門サイト『赤毛の司祭』からと紹介した上で、記事を引用させていただくかもしれません。
では、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます☆
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